緩和ケア病棟から追い出される? ケアの現場に持ち込まれた「連帯責任制」

皆さんは「緩和ケア病棟(ホスピス)」というものに、どういうイメージをお持ちでしょうか。

「死を迎えるために最後に行く場所」というネガティブなものもあれば、「苦痛を緩和して楽にしてくれる場所」や「看護師による手厚いケアを受け、家族や親しい人たちと過ごせる場所」といったポジティブなイメージの方もいるかもしれません。

いずれにしても、人生の最終段階の時間を尊重され、ゆったりと安楽に過ごせるというイメージは共通しているのではないでしょうか。

しかし、この「終の棲家」ともいうべき緩和ケア病棟から「追い出された」と訴えられる事例が増えてきているのです。いったい、日本の緩和ケア病棟に何がおきているのでしょうか。

元気になったのに絶望に落とされたAさんの物語

Aさんは、60代の女性。結婚はしましたが、40代で離婚したのち、一人で生活をしてきました。社交的な性格を生かして、保険の外交員を長年務め、何度も表彰されるほど優秀な社員だったそうです。

しかし、50歳になったころ、胸にしこりがあることに気づきます。

「まさか......」

と思って病院で精密検査を受けたところ、乳がんの診断。目の前が真っ暗になりましたが、頼れる人もいないAさんは「しっかりしないと」と気持ちを奮い立たせ、手術に臨みました。

手術は成功し、術後にホルモン療法も受け、また仕事にも復帰して今まで通りの生活を送れていました。

しかし、手術後8年が経ったところで再発しました。骨と肝臓に転移が見つかり、Aさんは抗がん剤を中心とした治療に入ります。

5年ほど、治療を繰り返しながら頑張ってきたものの、病状は徐々に進行します。骨の痛みが強くなり緊急入院となりました。痛みのため食事も十分にとれず、徐々に衰弱をしていくAさんに対し、主治医はこう告げました。

「もう回復は難しいでしょう。余命も1ヶ月は厳しいと思います。お近くの緩和ケア病棟をご紹介します。そちらで療養するのが良いでしょう」

Aさんは、「いよいよ自分もおしまいか」と落ち込んだものの、「それならば残された方々に迷惑をかけないようにきちんとしてから旅立とう」と考え、遠くの親戚や友人にお願いして、自宅の処分や身の回りの整理をしてもらいました。

緩和ケアで痛みが取れ、希望が湧いたのに......

そして、緩和ケア病棟へ。

用意されたのは明るくきれいな部屋でしたが、「ここで私は最期を迎えるのか」と思うと涙をとめることができませんでした。

しかし、Aさんにとって予想外のことが起こります。これまで昼も夜も苦しんでいた痛みが、1日、また1日と無くなっていったのです。痛みがなくなるにしたがって食欲も回復し、寝たきりだったAさんは少しですが起き上がって歩けるようになりました。

「緩和ケアって、すごいのね。こんなことならもっと早く診てもらうんだったわ」と、Aさんは担当医に笑顔で伝えました。

「余命1ヶ月と前の病院では言われたけど、この調子ならもっと頑張れそうですよね。希望がわいてきました」と話すAさんの言葉に、担当医が少し顔を曇らせたことに、Aさんは気づきませんでした。

そして2週間が過ぎたころ、担当医が回診に来て告げたのです。「Aさん。病状も安定したのでそろそろ退院しましょう。どちらに退院されますか?」

それを聞いたAさんは驚き、「えっ、退院?ここにはいられないということですか?だって私にはもう帰る場所がないんです」

「そうなんですか。困りましたね。でも、来週くらいには退院して頂かないと......」

「先生は『病状は安定している』とおっしゃいましたが、この数日あまり食欲もわかないし、痛みも強くなってきている気がするのですが......」「うーん。当院の場合、30日を超えて入院というのは難しく......」

その言葉を聞いて、Aさんはカッとなって言いました。

「それじゃあ、言われた通り1ヶ月で死んだほうがよかったということですか! せっかく元気になったのに、どうして喜んでくれないのですか。私はここに来るべき人間ではなかったのですね」

Aさんはそこまで言うと泣き崩れてしまい、担当医はただ黙って立っていることしかできませんでした。

患者さんが長く入院すればするほど儲からない仕組み

日本において、緩和ケア病棟は1990年に保険で認められ、全国での設置が進められました。今では、400をこえる施設で8000床のベッドが利用できるようになっています。

緩和ケア病棟が作られた当初、その診療報酬は「どれだけ長く入院しても一律」でした。そのため、私が緩和ケアの研修医だった10年前、病棟には1年を超える入院期間のがん患者さんもいました。

ある患者さんは琴の名手で、季節の行事ごとに和服に着替え、その腕前を披露してくれました。またある患者さんは長い入院期間の中で、隣同士の部屋に入った方と友達になり、毎日のように廊下に置かれたベンチに腰かけて会話を楽しんでいました。

そういった、ゆったりと過ごす時間の流れが、昔の緩和ケア病棟にはありました。それが2012年に、入院期間によって診療報酬が変化する仕組みにかわりました。

表にあるように30日以内、30~60日、60日超となるにしたがって診療報酬が下がる仕組みです。

その結果、「1年をこえる入院」ということは病棟経営上難しくなりました。この変更の一番の理由は、「緩和ケア病棟という資源をできる限り多くの方に使ってもらいたい」ということだと言われています。

要するに、短期入院で患者さんの症状を早期に緩和し、退院させて、次の患者さんを受け入れていこう、という考えです。

しかし、様々な個別の事情から退院するのが難しいという患者さんはいます。

80代の二人暮らしで、パートナーも病弱な上にお金もなく、介護施設にも行けず自宅での介護も難しいケース。点滴などが多く、濃厚な医療を長期的に継続しないと症状緩和が難しいケース。若年で介護保険が使えないうえに、両親の不安が強いため自宅に戻っても救急車で戻ってきてしまうケース......。

自宅に戻れることは理想的ですが、全ての人にとって在宅がベストとは限らないのです。

2017年までの診療報酬制度では、そういった特殊な方々に対応することは可能でした。長期入院になれば、その分、診療報酬は下がってしまうのですが「まあ、仕方ないよね」ということで目をつむることもできたのです。

退院が難しいケースは年間通しても数名くらいで、その1人が減額になっても、病棟全体の経営に与える影響はそれほど大きくなかったからです。

緩和ケア病棟の哲学をガラッと変えた「入院期間連帯責任制」

しかしこの2018年の診療報酬の改定で、それも大きく変わってしまいました。「入院料1」と「入院料2」とに分けられ、「入院料1」をとるためには「直近1年間の入院日数の平均が30日未満」という条件がついたのです。

他にも色々条件がありますが、今回はこの点のみにしぼって話をします。

この「入院日数『平均』30日未満」という文言をみて、どういったことが起きるかが想像できますか?

これはつまり、先ほどあげたような「例外的な生き方」は「認めない」という宣言なのです。

2017年までは、多くの患者さんが20日くらいで退院していく中で、1名が100日入院していても「仕方ないよね」で済みました。でも、今では「1名が100日入院」してしまうと困るのです。「平均」が30日を超えてしまうからです。

そうすると、入院している患者さん「全員から」入院料1はとれなくなり、入院料2に切り替えられます。1名の長期入院患者さんのせいで、なんの関係もない病棟全員分の診療報酬が「連帯責任で」カットされるということです。入院料1が2に切り替わると年間約1,500万円の損失になるという試算もあります(参考文献1)。

病院の赤字経営が全国で問題となる昨今、1,500万円の損失を受け入れられるところは多くはないでしょう。

結果的に、安寧に過ごせる場を求めてようやく緩和ケア病棟にたどりついた患者さんをして、「入院したその日から、追いだすことばかり言われる」と言わせてしまうような対応が、全国的に行われているのです。

そればかりか「30日以内に退院しない(死亡しない)」見込みの患者さんの受け入れを制限するようなことも始まっています。

緩和ケア病棟から「ケア」が失われ、医療スタッフは逃げ出す

昔のような、患者さんと医療スタッフとの穏やかな心の交流、なんていう余裕は、現場から失われつつあります。追い出す側・追い出される側の対立が信頼を生むはずもなく、短い入院期間ではその個々の人となりを知ることもできません。

「緩和ケア病棟を多くの人に使ってもらおう」という考えは一理ありますが、患者さんにしてみれば、「他にも苦しんでいる人がいるんだから、あなたが寝ているそのベッドを早く次の人に渡しなさい」と言われても「そんなこと知ったことではない」と感じるのが普通ではないでしょうか。

医療者側もしたくてしていることではありません。医療者も苦しんでいます。本来、緩和ケアの現場で働くことを希望する医療者は、病に苦しむ患者さんたちを支え、死に向かっていく中でも「生きていてよかった」と思ってもらえることを自分の喜びと誇りに感じられるような心根の方が多いのです。

しかし、このような診療報酬改定による、緩和ケア病棟の哲学の転換によって、「生きていてよかった」どころか「早く死んでいたほうがよかった」と患者さんに思わせてしまうような現状に、多くの医療者が苦しみ、絶望し、そして現場を去ってしまう方すら出ています。

緩和ケア病棟は、多くの方に利用してもらう医療資源のひとつであることは確かですが、その中で働く医療者だって大事な資源なのです。そのやる気を失わせ、ケアの質を低下させることが、未来にとってよいとは私には思えません。

「地域ホスピス」という選択肢:Bさんの物語から

本来ならば、このような「例外的な生き方は認めない」と宣言される診療報酬体系は撤廃されるべきだと考えます。しかし私たちは現実的にこの体制の中でなんとかしていかなければなりません。

病棟経営にも打撃を与えず、患者さんたちを追い出すでもない、そのような方法はあるのでしょうか?

そのひとつとして「地域ホスピス」という選択肢があります。

地域ホスピスというのは、医療法人ではない、看護師や介護士が中心となる民間の緩和ケア施設。例えば当院の近くだと「ケアホスピス中原」という施設があります(参考文献2)。

今回、当院の緩和ケア病棟を利用しながらも、ケアホスピス中原へ移られたBさんの話を紹介しましょう。

Bさんは、川崎市外に住む80代の女性で、がんで長らく闘病してきましたが、2018年に緩和ケアに専念するにあたって、当院へ通うことを選択されました。

「なるべく長く自宅で過ごしたい。でも最期は病院がいい。私は一人暮らしだから。でも介護施設だけは絶対に嫌よ」と、最初からおっしゃっていました。

2018年末、体調を崩して当院へ入院したBさん。このときは、体調も回復して退院したのですが、2019年1月に再入院となってしまい、さらに肺炎を繰り返したことで衰弱が進んでしまいました。

一度、本人の強い希望で自宅に戻ってはみたものの、やはり生活は困難で、1日で再入院しました。もう、自宅に戻るのは難しいだろうという話になりました。

しかし、そこで問題になったのが「30日間の入院制限」です。2月以降、比較的病状は落ち着き、食事も食べられていた中で、「どこで過ごすか」を家族とも話し合いました。

結果的に「緩和ケア病棟と継続した医師の診察が受けられる」「家族が付き添え、看護師など医療スタッフが常駐している」「介護施設ではない」というご希望の中で、4月にケアホスピス中原に移ることができました。そして、緩和ケア病棟でも主治医だった私が、引き続きケアホスピス中原へ毎週訪問診療に伺っています。

娘さんは、この入院期間の問題について、次のように語ります。

「緩和ケアに入院して、30日で死なないといけないのかと思いました。でも人間、そんなに都合よく死ねないですよね。母は、『病院で最期を迎える』というのが希望だったのです。介護施設だけは嫌と」

「自分たちはこういうところ(ケアホスピス中原)に入れてラッキーだったとは思います。私たちは早めに緩和ケアにかかれたから、こうやって調整できて、こちらに来ることができましたが、時間がない方だともっと具合が悪くなってから、どうにかしないとならなくなる場合もあるのではないでしょうか。だから緩和ケアに早めにかかるのをお勧めしたいです」

ケアホスピスには、医師が常駐しているわけではありませんが、看護師によるケアが中心となったこのような施設と、医療が中心となる緩和ケア病棟の役割分担をしていくことが、未来の緩和ケアのひとつの姿といえます。

受け入れてくれる場所もないまま、漂流する患者たち

地域ホスピスは、もちろんどこにでもある施設ではありません。

介護施設などがその受け皿となってくれることが理想ですが、施設ごとの嘱託医が指定されていて、ケアホスピスのように外部から緩和ケアの専門医を受け入れてくれるところはまだ多くありません。

緩和ケア病棟に長くいられなくなる現状の中で、そこを出ても次に受け入れてくれる場所も整っていないまま、多くの患者さんが居場所を求めてさまよい、つらい思いをしているのが、今の終末期医療の現状なのです。

皆さんはこのような現状をどう思いますか。そして、あなたたちの地域がどうなっていくのが理想と考えますか。皆さんのご意見をお聞かせください。

【西智弘(にし・ともひろ)】 

川崎市立井田病院かわさき総合ケアセンター腫瘍内科医

2005年北海道大学卒。家庭医療を中心に初期研修後、緩和ケア・腫瘍内科の専門研修を受ける。2012年から現職。現在は抗がん剤治療を中心に、緩和ケアチームや在宅診療にも関わる。一方で「暮らしの保健室」を運営する会社を起業し、院外に活動の場を広げている。日本臨床腫瘍学会がん薬物療法専門医。著書に『緩和ケアの壁にぶつかったら読む本』(中外医学社)、『「残された時間」を告げるとき』(青海社)がある。




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