<縁のカタチ>墓と家族(下) 慣習に縛られなくていい

ふと思い出すのは、お盆の風景。長野県東信地方の実家で、先祖の霊を迎えるために、両親や兄と盆提灯(ぼんぢょうちん)や精霊馬(しょうりょううま)の飾りを仏壇に供えた。迎え盆の八月十三日と、送り盆の十六日には、一家そろって墓参り。東京都品川区の会社員男性(60)は、五十年以上昔のことを思い出す。

「先祖やその墓を大切にするのは当たり前のこと。自分もいずれは同じ墓に入る」。ずっと、そう思っていた。それは、父からの影響でもある。

男性の父は子どものころ、一家で「満蒙(まんもう)開拓団」として旧満州(中国東北部)に渡り、畑を耕した。その後、末の妹が生まれたが、まもなく病死してしまった。終戦後に帰国した一家は小さな商店を営み始め、長男だった父は、結婚して店を継いだ。

祖父が亡くなると、父や叔父らが墓を建てた。墓には旧満州で亡くなった末の妹の名前も刻まれた。祖父が亡くなったとき、男性は五歳だったが、毎日仏壇に手を合わせる祖母や父の姿をよく覚えている。三つ年上の兄(63)らと交代で、男性も墓参りに行った。やがて祖母も亡くなり、同じ墓へ。父を中心に墓や仏壇を大事に守る生活は続いた。「戦中や戦後の混乱を生き抜いた父にとって、墓は特別なものだった。祖父母や妹が生きた証しそのものだったのでしょう」

そんな父の思いを感じて男性と兄は育ったが、二人とも関東地方の大学に進学し、故郷は次第に遠くなっていった。卒業後も地元には戻らず、そのまま首都圏で就職し、男性は東京に家を建て、兄は千葉県に住んでいる。

両親は一九九〇年代に相次いで他界。遺骨は父らが建てた墓に納めた。男性は、夏休みなどに妻(59)と娘たちを連れて墓参りに行ったが、空き家となった実家を売ったこともあり、一家そろって墓参りすることは次第に減っていった。今は、いつも一人で訪れている。

兄は年二万円の管理費を納めているものの、ここ数年、墓参りには行っていない。地元には親しい親戚もいない。墓の手入れは、男性が訪れる年数回だけだ。訪れるたびに「周りの墓はきれいなのに、うちのは草だらけ。両親や祖父母に申し訳ない」と感じる。

自分が長男だったら、墓じまいして今の住まいの近くに遺骨を移すことを考える。以前、兄に「墓をどうにかしたら」と話したこともある。だが、手を付ける気配はない。

地元には、死んだら家族も一緒に家の墓に入る習わしがある。しかし、男性はその墓には入らない。三年前、都内の納骨堂に永代使用料を払い、既に妻の母の遺骨を納めている。

将来は、妻や妻の父、妹夫婦も同じ納骨堂に入る。そのことは兄には話していない。「兄が知ったら嫌な気がすると思う」からだ。「生きているうちは、ずっと自分が故郷の墓参りに行く。でも将来は、両親や祖父母は無縁仏になってしまうかもしれない」。父を思うと、心苦しさが増す。

妻は死んだら、夫や夫の両親と同じ墓に入る。それは、日本の各地に古くからある慣習だ。だが、男性はこう思う。「女性が男性に従属するべきだという考えは古い。死後もとなるとなおさらだ。自分の妻や娘たちには、そんな考え方も生き方もしてほしくない」。一年ほど前、初孫が生まれた。次女(29)夫婦の長男だが、その子にも、家に縛られず生きてほしいと願っている。




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