「きっぷ」を刷っていた老舗印刷所の意外な今 ネット時代に活きた伝統の乗車券印刷技術

鉄道を利用する際には欠かせないのが「乗車券」。いまでは都市部を中心に「Suica」などのICカード乗車券がすっかり普及しているが、鉄道の開業から今日に至るまで重要な役割を担いつづけてきたのが紙のきっぷだ。

有価証券であるきっぷの印刷には独自の高度な技術が必要とされ、乗車券を手がける印刷会社はこれらのノウハウを長年蓄積し続けてきた。だが、ICカード化などで紙のきっぷの出番は縮小しつつある。その中で、長年培ってきた乗車券印刷の技術を活かしつつ、新たな分野へと事業を広げている印刷会社がある。東京・千代田区に本社を置く「山口証券印刷」だ。

同社は1921年の創業以来、大手私鉄をはじめとする鉄道各社の乗車券印刷を主軸として発展してきた印刷会社。かつてのきっぷの主流で、現在でも地方の鉄道などで使われる硬い厚紙の「硬券」や、自動券売機で使われる地紋の入ったロール紙などの印刷はもちろん、鉄道ファンの人気を集める記念乗車券なども数多く手がけている。

きっぷをめぐる環境が大きく変化する中、伝統の乗車券印刷技術にデザイン力や企画力を加え、CDやDVDなどのパッケージ、ネット上の決済に利用できるギフトカードなど、印刷だけでなくさまざまな分野の企画やデザインへと事業を広げている同社。新たな分野への本格進出へ舵を切ったのは約30年前、ある鉄道会社の担当者の一言が大きなきっかけだった。

「『ダサい印刷会社にはもう仕事は出さないぞ』とはっきり言われました」。同社常務取締役で、制作やデザインなどクリエイティブ面を担う「インセンクス事業部」プロデューサーの山口誉夫さんは、ある鉄道会社の担当者が発した強烈な一言を今も鮮明に覚えている。

大学卒業後、当初は違う道に進んだ山口さんが、父の「戻ってこい」という求めに応じて同社に入社したのは今から31年前。国鉄がJRに変わる直前の時期だ。

当時、乗車券は硬券から(自動券売機の)ロール紙へと進化していたが、さらに定期券のカード化や磁気券化など、鉄道各社で電子化を始めとした近代化が劇的に進み始めた「夜明け前のような時期だった」と山口さんはいう。

だが、同社は「機械も旧式なものが多く、旧態依然とした部分があった」(山口さん)。当時からすでに一般の乗車券だけでなく、ポスターやチラシといった交通広告、記念乗車券の印刷を手がけていたものの、デザインはすべて外注だった。

CI(コーポレートアイデンティティ)などが注目を集め、企業にとってデザイン性が重要視される時代になりつつある中、山口さんは会社が時代から取り残されつつあるという危機感を抱いていた。そのさなかに叩きつけられたのが、先の強烈な一言だった。「『モノをつくるだけじゃダメだ、考えてこい』といわれる時代に入っていた」と山口さんは当時を振り返る。

「このままではまずい」と感じた山口さんは、夜間にデザインの勉強を開始。当初は苦労の日々が続き、記念乗車券のデザイン案を30案提出しても「5秒で『こんなんじゃダメだ』と鉄道会社の担当者にダメ出しされた」という。だが、努力の結果デザインは認められるようになり「ダサい」という過去のイメージは払拭されていった。

1980年代末は、鉄道各社が券売機で使用できるプリペイド式磁気カードの導入を積極的に進めていたころ。新たな道へと踏み出した同社は、これらのカードやオーダーメイドデザインのテレホンカード印刷などの受注を獲得したほか、デザイン力を買われて企業のCIやビデオ・CDのパッケージ、コンサートのパンフレット類のデザイン・印刷、さらにコンサートグッズのデザインなども手がけるまでになった。乗車券をはじめとした印刷を主軸としつつ、1990年代にはデザインも単独で新たな事業へと育ってきた。

2003年には、制作やデザインを担うインセンクス事業部を設立。そして、新たな飛躍となったのがネット上の決済に利用できるギフトカード類の登場だった。

こういったギフトカードで重要なのは、カードに入ったシリアルナンバー。重複などのミスがないことが絶対条件だが、ここで活きたのが、同社が乗車券印刷で長年培ってきた、複数の異なる内容の券を同時に印刷するという技術だった。特に、駅名や金額などとともに券面に印字されているナンバーを印刷するためのノウハウだ。

発券する際に機械が印字する自動券売機と異なり、地方の鉄道やバスなどで係員が手売りするきっぷや、自動化されていない遅延証明書などは、同社が券面の内容をすべて印刷した上で納入している。硬券の場合、ナンバーは1枚ずつ印刷するが、紙質の柔らかい「軟券」の場合は1つのシートに複数の異なるナンバリングの乗車券が複雑に入り組んだ状態で印刷するといい、これらをどのように面付けするかといったノウハウが必要になる。シリアルナンバーの入ったギフトカードの印刷に求められる技術は、これらと同様だ。

さらに、同社は企画・デザインから印刷までワンストップで行える体制を整えている点も大きなアドバンテージとなった。硬券時代から培ってきた伝統の技術と、近年力を入れてきたデザインの力が、新たな事業を切り拓くことにつながったのだ。「90年以上培ってきた乗車券印刷技術の流れでスムーズに入ることができた」と山口さんはいう。

このノウハウを活かし、インセンクス事業部はさらに新たなビジネスにも乗り出している。ウェブ上での簡単な操作で、顔写真が入ったIDカードやチケットなどの印刷物を発注できる「ウェブtoプリント」のシステムだ。

画像データと個別の情報を正確に組み合わせ、さらにこれらの券面を1枚のシートに複数印刷した上で断裁するという工程は極めて複雑だが、これも乗車券印刷のノウハウを持つ同社にとっては得意分野といえる。誉夫さんの甥で、インセンクス事業部で新規事業立ち上げを担当する山口真司さんは「印刷業界は言われたことをやる『受注産業』という形になりがち。自分たちから仕掛けられる環境をつくりたい」と話す。

自分たちから仕掛けるという点では、記念乗車券についても同社から鉄道各社に企画提案を行なっているという。「記念乗車券やグッズ販売は(鉄道各社が)ファンを増やしたいというマーケティング的な要素が強い。長い間お付き合いさせて頂いている経験を活かして、たとえばイベントなどマーケティングのソリューションについても提案できればと思っています」と真司さんは語る。

「乗車券印刷という長い歴史の中でやってきた部分と、新たに取り組むべきソリューションビジネスを組み合わせたビジネススタイルを確立すべく歩んできた」と誉夫さん。鉄道営業の根幹を支える乗車券の印刷を軸として業務を多方面へと発展させてきた同社の足跡は、紙からICカードへと、この数十年間にめまぐるしい変化を遂げた「きっぷ」の変遷、そして鉄道業界の変化の歩みをも映し出しているといえそうだ。




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