震災の身元不明遺体、歯型確認の過酷作業

東日本大震災の発生からまもなく5年です。1万5894人に及ぶ犠牲者のうち、最も多かったのが9541人の宮城県です。その9541の遺体の86%は、所持品や身体的特徴から特定されました。歯型は10%で、およそ950の遺体が歯型による身元確認で家族のもとへ帰ることができました。しかし、その作業はあまりに過酷なものでした。数多くの遺体と向き合った歯科医の証言です。

「合掌からやります」

宮城県警と県歯科医師会による合同研修。捜査官らの目の前には模擬遺体が。治療した歯や抜け落ちた歯が緻密に再現されています。

「4番、ブリッジ(被せ物)」

「5番、インレー(詰物)」

研修では、歯の状態を読み上げ、「デンタルチャート」と呼ばれるカルテに書きとめていきます。捜査官に書き方を指導する石巻の歯科医師・三宅宏之さん。

「死後に抜けた後なので傷は治らない。死後脱落を全部(生前の)欠損と書いてしまって、照合で大変だった」(三宅歯科医院 三宅宏之さん)

三宅さんは、警察の鑑識捜査に協力する民間の歯科医師「警察歯科医」として身元の特定にあたりました。損傷が激しい遺体は、生前のカルテと遺体の歯の治療痕を照合しなければ身元の特定が困難だったからです。

「(震災から)4日目から死後硬直が始まっていた。開かない口を無理やり開けなくてはいけない。それがものすごく辛かった。その現場にいたらやるしかない」(三宅宏之さん)

東日本大震災後、三宅さんは500もの遺体と向き合い、身元不明の遺体を家族のもとに返してきました。

「突然亡くなったわけじゃないですか。突然亡くなってどこの誰かもわからないのは、亡くなった方が無念だろうと思って。『絶対に家に帰してあげないと』という思いがあった」(三宅宏之さん)

歯型による鑑定で家族の身元が判明した遺族がいます。新田将人さん(44)。三宅さんの中学時代の同級生です。新田さんは、石巻市で同居していた母・彌子さんを津波で亡くしました。

「周りで遺体が発見され始めていて、でも母の遺体が発見されていなかった。2か月たっていたので覚悟はできていた」(新田将人さん)

自宅の倉庫でがれきの下敷きになっていた彌子さん。発見されたとき、震災からすでに3か月近くがたっていました。このため、警察は、遺体を母・彌子さんと断定できずにいました。しかし・・・

「三宅君にすぐ連絡して『母が見つかった』と。すぐに駆けつけてくれた」(新田将人さん)

彌子さんの身元確認を引き受けた三宅さん。そして、その日の夕方、新田さんに連絡が入ります。

「『間違いなく新田の母だ』と。哀しみはありましたけど、見つかってよかった。見つけてあげられてよかった。『ありがとう』だけでした」(新田将人さん)

生前のカルテと歯の治療痕を照合する身元確認。しかし、その実態は想像を超えた過酷な作業でした。

「照合するというのは究極の神経衰弱。これ合っている、これは違うというのを何千人やらなくてはいけない」(三宅宏之さん)

三宅さんは今、災害発生時の警察歯科医の重要性を全国の歯科関係者に語り始めています。

「この頃(夏)には歯が抜けてきている。なんとかデンタルチャートを作らないという危機感があった」(三宅宏之さん)

「当時、テレビで流れていた情報だけだと知ることができなかった話を聞けたので、何をしていくべきか自分で考えないといけない」(参加者)

「南海トラフだったり、富士山の噴火だったり、大規模災害があったとき、宮城県のデータが役立つ」(三宅宏之さん)

東日本大震災からまもなく5年。次の災害に備え、警察歯科医の取り組みが続いています。




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