<介護殺人その後>加害者も心に大ダメージ 社会復帰に壁

介護殺人事件の加害者が事件から時間を経て自殺したり、体調を悪化させたりするケースが後を絶たない。介護疲れによってうつ状態だった人も少なくないとされており、社会復帰に向けた加害者の心のケアが課題として浮かび上がる。

2006年に京都市伏見区で起きた認知症の母殺害事件。承諾殺人罪に問われ、有罪判決を受けた長男(62)が14年8月、大津市の琵琶湖で命を落とした。親族によると、自殺とみられる。

確定判決によると、長男は06年2月、伏見区の桂川河川敷で車いすに座る認知症の母親(当時86歳)の首を絞めて殺害した。自らも刃物で首を切り自殺を図ったが、助かった。

長男は母親の介護のために会社を辞めて収入が途絶え、生活苦に陥ったとされた。デイケアなどの介護費や約3万円のアパートの家賃も払えなくなった。役所に生活保護の相談もしたが、「まだ働ける」と断られていた。

「もう生きられへん、ここで終わりや」と言う長男に「そうか、あかんか。一緒やで」と答える母親。長男の裁判で、検察側は犯行直前の2人のやり取りを詳しく明らかにした。被告の心情に寄り添うような検察側の姿勢もあり、事件は大きく報道された。

京都地裁は06年7月、長男に懲役2年6月、執行猶予3年(求刑・懲役3年)を言い渡した。裁判官は「裁かれているのは日本の介護制度や行政だ」と長男に同情した。長男も法廷で「母の分まで生きたい」と約束した。

それから約8年。長男はどう生活していたのか。親族らによると、長男は裁判の後、滋賀県草津市の家賃約2万2000円のアパートで1人暮らしを始め、木材会社で働いた。

部屋には母親と事件前に病死した父親の位牌(いはい)を安置する仏壇を置いたが、事件のことを口にすることはなかった。勤務先の同僚は「真面目に黙々と仕事をこなした」。近所の男性は「誰かが訪れるのを見たことがない。孤独だったのでは」と話した。

13年2月、「会社をクビになった」と親族に伝えたのを最後に、連絡が取れなくなった。自宅にも帰らず、行方が分からなくなった。親族が警察に行方不明者届を出したが、14年8月1日に遺体で見つかった。その日の朝、長男とみられる男性が琵琶湖大橋から湖に飛び降りるのを目撃した人がいたという。

「彼は最後まで孤独から抜け出せなかった」。親族の男性は毎日新聞の取材に無念さをにじませた。男性によると、長男が亡くなる際に身に着けていたカバンには、自分と母親のへその緒、そして「一緒に焼いて欲しい」というメモ書きが入っていた。所持金は数百円で預金はなかった。

「事件について何も語らず、誰も頼ることもなく逝ってしまった。彼にとって何が必要だったのか最後まで分からなかった」。男性は唇をかんだ。

病気の妻を殺害した大阪府の男性(70)も昨年、事件から約3年半後に自殺した。家族によると、男性は事件を引きずった様子で、家でぼんやり過ごすことが多かったが、カウンセリングなどを受けたことはなかった。14年に寝たきりの母親を殺害した大阪府の女性も保釈された後、睡眠薬を飲んで自殺を図ったが一命を取りとめた。精神鑑定では「うつ病」と診断された。

一方、心身の不調で裁判が中断したケースもある。昨年12月16日、大阪地裁の法廷に車いすで出廷した被告の女性(81)は裁判長の呼びかけに何も反応せず、ただ、ぼーっと前を見つめていた。

大阪市旭区の女性は昨年3月に知的障害の長男(当時54歳)を殺害したとして殺人罪に問われている。検察側は介護疲れで将来を悲観したとみているが、事件の経緯を見つめようと、傍聴席には多くの人が詰めかけていた。

しかし、裁判長は「被告の訴訟能力に疑いがある」として審理を打ち切った。今後、精神鑑定で訴訟能力が否定されると、公訴棄却となり、事件の審理がなくなって、法廷で詳細が明らかにされないままとなる。

◇古川隆司・追手門学院大准教授(社会福祉学)の話

介護殺人事件は社会保障制度の問題を内在しており、加害者の証言や心理分析を再発防止に生かすことが不可欠だ。しかし、日本では司法手続きで罪を裁くのが主眼で、事件を検証したり、加害者の社会復帰を支えたりする機能に乏しい。再発防止につなげるためにも、精神的に追い詰められた加害者の心をケアする公的な仕組みを作るべきだ。




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