東京の災害危険度、地名と地形から見てみると

皇居の東を南北に歩いていると、驚くほど坂道が多いことに気づきます。確かに、あちこちに○○坂と言う地名があります。皇居は武蔵野台地の東端に位置します。お隣の霞ヶ関にも坂が多くあります。

武蔵野台地の東の崖の下には、京浜東北線と山手線が走っています。田端はまさしく崖の下の駅です。台地の東・南を走る田端から品川までの駅名を見てみると、田端、西日暮里、日暮里、鶯谷、上野、御徒町、秋葉原、神田、東京、有楽町、新橋、浜松町、田町、品川と、「田」「橋」「浜」「川」などの水辺の漢字が見られます。

一方、台地の中を進む西・北の駅名は、大崎、五反田、目黒、恵比寿、渋谷、原宿、代々木、新宿、新大久保、高田馬場、目白、池袋、大塚、巣鴨、駒込と、水辺の漢字は少なく、「谷」「久保」など凹凸を感じさせる地名があります。

確かに、東京西部の有名な地名には、日比谷、渋谷、市ヶ谷、千駄ヶ谷、四ッ谷、神谷町、阿佐ヶ谷、荻窪、大久保など、谷や窪が付く地名が多くあります。日比谷は徳川家康が天下普請で日比谷の入り江を埋め立てた埋め立て地、渋谷は渋谷川と宇田川が合流する低地です。市ヶ谷、四ッ谷、千駄ヶ谷、大久保、荻窪は、いずれも武蔵野台地を刻む河川の谷筋に位置しています。

図は、東京の地形とバス停の停留所名を対比したものです。

右の表に基づいて停留所名の漢字から良好地名(■)と軟弱地名(□)に分類してみました。図のように白地の沖積低地では□のマークが多く、茶色の台地部に■が多くあります。ですが、台地にも□のバス停が意外と沢山あります。これらは、谷が刻む谷のところに相当します。このように、バス停の名前は、昔の地名が残りやすく高密度に存在するため、地盤の良否を見分けるヒントになると思われます。

図は、武村雅之名古屋大学教授が推定した1923年関東地震のときの東京の震度分布図です(武村雅之:関東大震災―大東京圏の揺れを知る、鹿島出版会、2003年)。赤色の場所が強く揺れたところです。

飯田橋・水道橋から九段下、竹橋、大手町、丸の内、日比谷、新橋、虎ノ門、溜池、赤坂見附にかけて強い揺れの地域が帯状に存在しています。飯田橋から竹橋にかけては神田川が流れている場所の周辺です。

ここは、江戸以前には、大池から平川が流れていた場所に当たります。平河町という地名を思い浮かべてください。大手町から新橋は日比谷の入り江が有った場所、虎ノ門から赤坂見附は溜め池があった場所になります。

日比谷とか溜池という地名が当時の様子を残しています。こういった水辺の場所は、地盤が軟らかいため、液状化が起こったり、強い揺れになることが心配されます。また、相対的に低い位置ですから、大雨が降ると水が溢れやすい場所にもなります。

一方、東京駅の東側の銀座や日本橋の揺れは余り強くありませんでした。この場所は、上野や本郷の台地の延長に位置する前島にあるため、地盤も相対的に固いからです。隅田川を越えた東側に関しては、沖積低地や干拓地が広がっているため、非常に強い揺れになっています。

ちなみに、東京スカイツリーは、最も良く揺れた場所に位置しています。地形図を見ると、干拓地の方が埋め立て地より標高が低いことが分かります。万が一、堤防が崩れると、水に没する場所にもなります。

このように、同じ東京でも、ずいぶん災害危険度が異なります。今度、電車に乗ったら、車窓に見える地形の変化を楽しんでみてはどうでしょう。家探しの基本は、危険な場所を避けることです。地名や地形にも興味を持ってみてください。

福和伸夫 名古屋大学減災連携研究センター、センター長・教授

建築耐震工学や地震工学に関する教育・研究の傍ら、地域の防災・減災の実践に携わる。民間建設会社の研究室で10年間勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科で教鞭をとり、現在に至る。各地の地震被害予測や防災・減災施策作りに協力しつつ、振動実験教材・ぶるるの開発や各地で出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し、それを地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。日々、地域の様々な主体と協働して、魅力ある地域の未来を共創するための活動を進めている。




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