澤の屋旅館 下町の家族旅館が外国人に大人気の理由

世界最大の旅行者口コミサイト「トリップアドバイザー」で5年連続「エクセレント認証」を獲得し、殿堂入りした東京・谷中の澤の屋旅館。一方、全国に数多く散在していた家族旅館は、ほとんど絶滅種といわれるほどの惨状。

実は澤の屋も例外ではなかった。大阪万博が終わる1970年あたりから下降線をたどり、1980年に入ると廃業の危機を迎えるまでに落ち込む。近代的で廉価なビジネスホテルなどに客をとられたのだ。そんなとき新宿の「やしま旅館」の館主から訪日外国人客の誘致活動をしていた「ジャパニーズ・イン・グループ」(JIG)に入会し、外国人観光客を受け入れることを提案される。

館主の澤功さん(78)は述懐する。

「言葉も通じないし、当時は、うちのような和風旅館が外国人を受け入れるなんて思いもよりませんでした。それで1年間は踏み切れなかったのですが、その後、宿泊客ゼロが3日間続くという状況に陥り、もはや背に腹は代えられないと受け入れを決めました」

1982年のことである。〝旅館をやめるか外国人を受け入れるか〟の2択しかなかったと澤さんはいう。見通しも戦略もなにもないところからのスタートだった。

ところが、これが吉と出た。当時の訪日外国人旅行客はわずか180万人。が、高級ホテル・旅館以外には受け入れる宿がなかった。82年こそ230人にとどまった外国人客だが、翌年には一気に3000人へと跳ね上がった。

「理由は海外1000カ所に年14万部送られていたJIGのパンフレットに掲載されたこと。それと、『ロンリープラネット』という世界的旅行ガイドブックに載ったことでした」

日本の習慣・文化に興味を寄せる外国人は多数いるのに、数千円で安く泊まれる宿がない。そんなニーズが澤の屋に集中した。とはいえ、危惧していた言葉や習慣・文化の問題は残ったままだ。

「当初はいろいろとありました。しかし、言葉については思いのほかハードルは低かった。英語の単語を並べるだけである程度は通じるし、分からなければ辞書で調べる。それでもだめなら絵を描いてもらう。宿泊客へのアンケートをとっても、コミュニケーションがとれなかったというお客さまはほとんどいません」

習慣・文化についても和式のトイレ(現在はすべて洋式)と浴槽にまつわるトラブルは絶えなかった。トイレの使い方を間違ったり浴槽のなかで体を洗ったり……。しかし澤さん自身が頻繁に海外旅行を経験するなかで「文化が違うだけ。彼らに悪気はない」と割り切れるようになった。

支払いにも悩みがあった。予約を電話で受けてもお客が訪れない事故が年間約60件も起こったのだ。しかしこれは、旅館としてはいち早く予約・支払いをクレジットカードに限定し、不泊でもカード会社に料金を請求できる「ギャランティー・リザベーション」を導入して解決した。澤さんは「このギャランティー・リザベーションが、訪日外国人客を受け入れる際の絶対条件」と強調する。

わずか12室の和風旅館。そのうちバス・トイレ付きは2部屋だけである。にもかかわらず稼働率は95%。その9割近くが外国人で、うちわけは欧米、オセアニアが8割を占める。旅行代理店は通さず、じかに予約をとる個人旅行客が100%で、長期滞在者も多い。アジア人も最近増えてきたが、職種は意外にも教師や大学教授、研究者、会社役員などハイソサエティーな人たちが多い。

「よく、毎日満員なのだから施設を大きくしたりチェーン化したりしないのかと聞かれますが、私は家族旅館だから来ていただけているのだと思っています。なので、今後もいまのままです」

澤の屋は澤さん夫婦と息子さん夫婦だけで切り盛りしている。いつ来ても変わらない顔が全体の約3割というリピーターを生みだしている。澤さんは「変わらないこと」が大事だという。外国からの個人客は日本の習慣・文化を体感するために来る。特別なことはせず、日本人と同じように接する。

さらに特徴的なのは、澤の屋が谷中という街と一体化していること。谷中は、関東大震災も戦災も免れ、数百年の歴史を誇る多数の寺と閑静な住宅街、賑やかな商店街を持つ日本情緒あふれる下町だ。

澤さんは、外国人を受け入れるまでは町内の付き合いにあまり積極的な方ではなかった。従来の日本人客は旅館内のサービスで完結していたからだ。しかし、外国人客の場合、日本文化を味わいに街に出てさまざまな人とふれあう。自然と澤さんは外国人客に観光スポットや飲食店、病院や薬局などを紹介するようになり、何軒かの飲食店の写真入りの英語のメニューをロビーに置いている。澤の屋は外国人受け入れ以来、夕食をとりやめ、欧米で普及しているB&B(ベッド&ブレックファースト:一泊朝食付き)方式に変えたので、飲食店のメニューはとても重宝がられているという。

「谷中という街が澤の屋のお客を鷹揚(おうよう)に受け入れてくれているのを感じます。祭りや催し物へ参加することを外国人はとても喜びますし、日本人と友達になって良い思い出ができる。地元の人が海外旅行に行った際、その外国人を訪ねたという例もあります」

街ぐるみで外国人を受け入れていけば、全国の家族旅館も再生可能だと澤さんは言う。なぜなら、海外からの個人客は、日本人や日本の習慣・文化とのふれあいを求めているからだ。

さて、前述したとおり澤の屋の稼働率は95%。すでに来年の6月の予約が入っているほどだが、いくらニーズが増えてもキャパが同じなら売り上げは増えない。しかし、澤さんは利他的な動機で啓蒙(けいもう)活動に邁進(まいしん)する。澤さんはいう。

「これまで89カ国延べ17万人の外国人客を受け入れてきました。そのノウハウを全国の家族旅館に知ってもらい、苦境を脱していただきたい。それと、外国人を受け入れることは日本の文化を知ってもらうこと。結果としてそれは、世界平和につながるものだと私は信じています。だからこそ、この年になってもモチベーションが保てるのです」

COMPANY DATA
所在地 東京都台東区谷中2-3-11
社員数 5名
URL http://www.sawanoya.com/




http://news.goo.ne.jp/article/senkei/bizskills/senkei-20151030124635909.html